Jun 12, 2016

ユニバーサルな規格について

今更だけれども、国レベルでユニバーサルな規格というものは希少だなぁと思いました。 たかだか5言語(むしろ文化という単位で捉える方が適切)くらいのサービス対応で色々問題が発生しております。 異文化の間に似ている考え方が観測されると、それを合わせようとするのは面白いなと思います。言い換えれば互換性を取るというか。 冗長だから減らしたいパートなんですよね。 一方で、互換性を形成するコストというのは本当に高くつきます。 たとえば日付データと言う情報と「16.01.03」という文字列が与えられていたとして、日本では2016-01-03, 1916-01-03だけれどもドイツでは2003-01-16, 1903-2016という情報になってしまいますよと。 この辺を上手く扱うライブラリなんかの議論は昔のMLやIRCログを見ているととても面白いですね。 こういう違い、つまり異文化という表現を定義や型にまつわる公理系が異なる空間として定義づけることにしてみます。 データの定義と型やスキーマの定義付けは定量的に扱う上では相補的な話ですが、この2者の自由度はそのまま異文化超えのコストと言い換えることができそうです。 そもそもこの辺の概念を規格化しようねっていう話は個々の文化の中での公理系の成立と比較するとわりと新しいんですよね。(当たり前か) とはいえ1875年のメートル条約しかり、140年くらいは歴史があるのですが。 言語性、地域性みたいなものをどう扱うかという話には新しい定義か古いものを消し去るかくらいしか上手く行っている事例が見つからないんだよなー。 古くは暦のズレにあるように相対的なズレや補正式なんかで、新しいものでは文字コード周りでしょうか。 この辺のメンテナンスをどの文化が担当するのか、というのもコスト面では大事で、他方は幾重ものマージを繰り返していくうちに疲弊するんだろうなー。 グローバル展開みたいな話は突き詰めると、この辺のどのくらいの文化を跨ぐかと、自社で耐え切れるコストの見積もりで計画されていくんでしょうね。 絵文字やデジカメのDCIM(JEITAのDCF)なんかみたいに他が入り込めないようななんかがあるといいのかな。 しかし最近考古学的な仕事が増えたような...